【入園準備①忘れ物対策編】うっかりママ流☆朝の支度を乗り切る方法・コツ・裏技まとめ
どうも。
低血圧が関係しているかどうかは分かりませんが、わたしは朝がとにかく苦手です。
今から3年前、娘を幼稚園に通わせるにあたって、今の時期は不安で胸がいっぱいでした。
「毎朝、ちゃんと起きられるのか!?」(※わたしが)
「ギリギリまで寝てしまうのでは!?」(※わたしが)
「ちゃんと身支度できるのか!?」(※わたしが)
「忘れ物をして迷惑をかけてしまうのでは…!?」(※わたしが)
「遅刻して迷惑を
とにかく、自分というものが信じられない。
朝早く起きて、身支度をさせて、幼稚園バスに乗せる―――
ただそれだけのことなのに、とてもハードルが高く感じていました。
そんな私も、もうすぐ娘の卒園を迎えます。
「目覚ましを複数セットしておけばいいだけ」
「前日のうちに準備しておけばいいだけ」
その「だけ」で済んだら何も苦労しない、そんなあなたに。
わたしと似ている、そんなあなたに、私がこの3年どう乗り切っていたかを、お伝えしたいと思います。
続きを読むEテレ「スマイル!」にADHD当事者ママが感動した話 #Eテレ
いつもなんとなく見ていた子ども向け番組で、意外な展開に
Eテレの「スマイル!」で、ちょこちょこ発達障害児への対処法っぽい描写がある。番組ではそうとは言わない。今日のは「話したいことに夢中になって相手を困らせてしまう子」が出てきて、その子にアドバイスするのかなぁと思ってたら、聞き手側の子の方に「こうするといいよ」と助言してて少し驚いた
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年2月21日
他の回では、読み書きが苦手な子にタブレットが与えられて、「えー、ずるい!」と発言した子の方を優しく諭す回もあった。発達障害の発の字も出さず、一方的に「周囲を困らせてしまう行動をとる子」を注意して終わる訳でもなく。「自分が合わせられないのが悪い」と思っていたから目からウロコ。
— 望月志乃🐈ママADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月21日
「こだわりがあることは良いこととして、まず受け止めてあげて」
— 望月志乃🐈ママADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月21日
「でも長いし興味ないし聞いてたら時間がなくなっちゃうよ」
「この子にとって話せないことはとっても辛いことなんだ、例えば『1分だけ聞くね、そしたら次は◯しよう』って、時間を区切って聞いてあげて」
「わかった」
絶対に「空気を読まずに喋り続ける子」の方が注意される流れだと思ったからまさかの展開。
— 望月志乃🐈ママADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月21日
私は相手に冷たくされることで学習した部分もあるし、社会に出たら皆がこうして好意的に自分に合わせてくれるとは限らないし、これはこれで大丈夫なのかな?って思ってしまう。染み付いてる。
つまり私はそういう「冷たくされた思い出」も「必要な事だった」と肯定的に捉えてるってことになる。でも私は当時から軽度な方だったのかもしれないし、学習してすべて未然に防げたら苦労はしない。致命的なトラウマを抱えてからでは遅い。道徳番組で、子ども達に寄り添う姿勢を示してくれるのは希望だ
— 望月志乃🐈ママADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月21日
今の道徳番組ってこんな感じなんですよね…。なんというか、確実に昔よりよくなっていると思う
— 望月志乃🐈ママADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月21日
少なくても私が子どもの頃はこうではなかった。
Eテレ「スマイル!」とは…
NHK教育テレビ「Eテレ」にて毎週水曜日あさ9:00から放送中の、子ども向け道徳番組。
今回、改めて番組のことが気になって公式サイトを調べてみて驚いた。
「スマイル!」は、もともと<特別支援>をテーマにした番組だった。
「スマイル!」は「特別支援教育・学級活動のための番組」です。
学習の基礎的なところでつまずきがあったり、人とのつきあいでつまずきやすい子どもたちをおもな対象としています。
(中略)トラブルをかかえている子も、そうでない子も、クラスでいっしょに楽しく見て、みんなの毎日の笑顔をふやしていくことにつながるものです。
番組で示すアドバイスの内容も、発達障害児に限らず「子どもにありがちなトラブル」に対する対処法。子どもたちを「区別」することなく、「みんなで笑顔に過ごすためのノウハウ」を解説している。
わたしは当事者なので、どうしても「周りに合わせるためのライフハック」に重点を置いて考えがちなのだが、そうではなくて、対象はあくまで「クラスのみんな」であり、「みんなで考える」ことが大事なんだなあ。
社会はそんなに甘くない?けど…
発達障害児を取り巻く環境は、私たちが子どもだった頃よりも、ずっと理解のある、あたたかなものになってきている。
ただ同時に、現代社会に生きる成人発達障害のひとりとして、「理解ある学校環境から、社会に出た時のギャップ」を心配してしまうこともある。
理想は理想であって、現実ではない。
理解のない大人が社会の中では大多数で、今まさに生きづらさを抱えて悩んでいる成人発達障害者がたくさんいる。
学校という社会の縮図の中で、予行練習のように数々の失敗をして、痛い目をみながら大きくなったという自負があり、(「だからお前らもすすんで痛い目をみろ」とは決して言わないが)振り返ってみれば、辛い体験も必要なものだったように思う。今の子どもたちに対して、純粋に「良かったね、うらやましいな」と思う気持ちと共に、(でも、社会はまだまだ厳しいぞ。)と心配する気持ちもある。
子どもは未来の社会をつくる
少子高齢化とは言っても、今の子どもたちがリーダーシップを発揮して社会を動かす番がやってくる。そう考えると「多様性を理解しよう」という今の教育の流れは、それ自体が大きな希望だ。
私はこのブログの中で、「発達障害はグラデーションになっていて、健常者といえども薄いグレーだ」ということを伝えてきた。発達障害の有無は、白黒ハッキリついているわけではなくて、あくまでも地続きで我々がいる。
「発達障害」を抱えた子どもたちの悩みは、そうでない子どもにとって、決して他人事ではない。
Eテレ「スマイル!」は、「差別」になりがちな「区別」を行わず、「みんなで見て、みんなで考える」ことを目的にしている。明確な区切りも、前提も、子どもたちには、必要のないものなんだろう。
そしてこの関係性こそが発達障害を持った人と社会の、理想的な在り方のように感じた。
子どもの気持ちを忘れてしまった当事者ママ、反省す
実をいうと、以前「スマイル!」を見た時、(こんなに初歩的なことからやるの…?)と思ったこともあった。
当時は番組のテーマも分かっていなかったし、(これくらい教わらなくても分かるだろうに…)と、「できる側の人間」としての驕りがあったように思う。
気持ちをわかってあげられるはずの「先輩」なのに、このありさまだ。
当事者の目線に立つというのは、本当に難しいことなんだなと、改めて感じた。
たくさんの人に見て欲しい番組
困ったちゃんに注意をして終わるのでは、番組を見終わった後に、正義感から「いけないんだ〜〜!」と糾弾の対象にもなりかねない。
そして、「困ったちゃんにどう対応すればいいのか」を、適切に教えることが出来る大人はそう多くない。
相手にするなとか、距離をとれとか、拒絶する方法を教えることは、とても簡単。
ポジティブなアプローチをしようにも「そんなこと言わないで、仲良くしてあげて?」とかいう、ふわっとしたアドバイスになりがちだ。
でもそれは、片方の子に負担を強いることにもなりかねない。子どもの良心に訴えて、ただ我慢をさせても、いずれ必ず限界がくる。
また、発達障害児にとっても、このような番組を見ることで、「よく解らないうちに距離を取られて、気づいたら孤立していた」なんてことが減り、「ああ、こうすればいいのか」と、具体的な対処法がわかりやすくなると思う。
つまり、どっちに対しても学びとメリットがある、素晴らしいつくりになっていると思った。
「わかっちゃいない大人」の一人として、これからも勉強させていただきます。
お知らせ
別館ブログも更新しています
ご好評をいただき自費出版本が商業出版として3/9(金)から全国販売決定
6歳になりました!陣痛なうから早6年。
ここまで、山あり谷ありあった子育て。早いもので、この春から新一年生になります。
これからもいろいろとあるんでしょうね…。
あの日ママになってから、ママも6年目になりました。
次は中学生になるんですから、大きくなるわけですよねー!
続きを読む猫をお迎えしました。トラさん♀です。
宜しくお願いします。
猫をお迎えすることになりました
待ち遠しかったようす
覚えたての言葉を使いたいお年頃
仲良くやってます
Instagramがネコだらけに…
もう可愛くてしょうがない。
新しい家族も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
記事やツイートを「パクられる」ことについて考えてたら壮大なテーマになった時のまとめ
ツイッターを眺めていたら、こんなツイートが流れてきました。
記事の写真やスクショ画面だけを転載ツイートするよりも元記事のURLをシェアしてあげてねって話をざっくりとマンガにしました(URLは言及元)https://t.co/xFKFAXzX9g pic.twitter.com/MNblTwSV5z
— 吉本ユータヌキ (@gonnakill_uta) 2015年11月21日
こちらの漫画の、元になった記事はこちら。
今回はこのことについて考えた、ツイートのまとめです。
続きを読む【大感謝♡】3/9(金)より全国販売!横から目線の育児本「2歳児サバイバルライフ」Amazon&楽天ブックス予約受付開始!
わたしも企画・制作に関わった、「横から目線の育児本」をコンセプトにした自費出版本「2歳児サバイバルライフ」。
増版を重ね、地元メディアで話題に
2016年10月に発売以来、ありがたいことに、本当に沢山の方に支えられ、ご好評をいただき、増版を重ねてまいりました。
その結果、多くの地元メディア(河北新報、NHK仙台、エフエムたいはく、ミヤギテレビ「Oh!バンデス」、CATV)にてご紹介いただきました。
NHK仙台の番組内で自費出版大賞を受賞
そして昨年末にはなんと、NHKひるはぴ「ひるはぴブックス大賞2017」において「自費出版大賞」を受賞。
ボランティアスタッフの自費出版には限界もあった
残念ながらこれまでは、ここまで話題にしていただいたにも関わらず、ごく限られた店舗でしか入手できませんでした。インターネット販売もメールでの受注販売のみ。制作メンバーがボランティアで1冊1冊、手作業で梱包している状況が続いており、皆さまのお手元に届くまでに、ご不便をおかけしておりました。
それが。ついに。
repicbook様より、全国販売が決定
2018年3月9日より、全国の書店でお買い求めいただけます!
それに合わせ、Amazon&楽天ブックスでも予約受付開始しております!!!!!!!!!!
イェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエイ!!
ジャスティス!!!
すいません、取り乱しました。
気になっていた方、これを機にポチってやってください。
これもひとえに、皆さまの応援のおかげです。本当にありがとうございました。
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発達障害者が結婚について現実的かつ前向きに考えてみる
前回の記事で、発達障害の特性を持った女性が、婚活していることを理由に、誹謗中傷を受けたという話について書かせていただきました。
詳しいことは前回の記事を御覧いただくとして、簡単に説明しますと(あくまで私個人の予想ではありますが)、誹謗中傷の内容から、「発達障害が遺伝する可能性があるのなら、子どもを産んではいけない」し、「結婚するべきではない」という思い込みを抱えた人物像(おそらく同じ当事者)が浮かび上がったという内容です。
このブログのコメント欄だけでなく、ツイッターや、はてブコメ等を通して、様々なご意見をいただきました。ありがとうございました。
頂いたご意見・ご感想を見ながら、考えてみたことをまとめてみます。
瞑想がまったくできない
絶え間なく考え事をしている。
考え事にもエネルギーは使うので、毎日家でじっとしているだけでも疲れている。
「考え過ぎ」とも言われるし、自分でもそう思うが、性分なので仕方がない。
落ち着きなく動き回るADHDの子どもを「多動児」と呼ぶが、ボーッとしているADHDの子どももまた、「頭の中が多動」なのである。
「瞑想」による効果は、今や科学的にも証明されていて、故スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、イチロー等の名だたる成功者のほか、Google社、インテル社など一流企業も導入しているそうだ。
その他、東洋医学でも「考え過ぎるのは良くない」とされているのも知っている(同じだけ身体も動かした方がよい)。
知ってはいるが。
常に何かを考え、自分の世界へ旅立ってしまう癖がある私にとっては、「頭の中をからっぽにする」のが、どうにもこうにも不可能に近い。
今まで何度も挑戦してみたが、その度に挫折してきた。
瞑想には「集中力」が必要だ。
「誰にでも出来る!カンタン瞑想法!」などという情報サイトを片っ端から読んでみたものの、私には出来ないぞ瞑想法。全然カンタンじゃないぞ瞑想法。
オチには結局「そんなわけで、しっかりした指導者に教わるのが一番!セミナー受講がオススメ☆」というような文言と、お申込みボタンがあることも多く、うす汚れっちまった私には、お金の匂いがすると何ともハードルが高い。
「ひたすら腹式呼吸に専念するだけでいい」と言われても、次の瞬間には別のことを考えている。こういう時に、思考停止ボタンがあったらいいのになあと思うが、そもそも瞑想はそのための訓練なのだろう。
「無心になれればいい」という説もある。
料理、編み物、縫い物、絵画、プラモデル、盆栽…。
趣味や好きなことに没頭できる時間は、人の心を癒すのだそうだ。
私の場合はおそらく、「考え事」がそれにあたるわけだが、その場合は一体どうなるんだろうか。
心を無にするって、どういう状態なんだろうか。
無心になれるとは?無心とは?無とは?心とは?
要は何?没頭できればいいの?そりゃもう頭を使っているけども。使っているんだけれども、呼吸や飲食も忘れて考え事に没頭しているとき、無我の境地に立っていると言えなくもなくもない。無我とは一体なんなんだ。そう言えば、無我とは仏教用語なんですって、知ってました?まわるーまわるーよ思考はまわるー。よろーこびーかなしみくりかえぇぇえええキィィエエエ……おなかすいた。
無理。
無理だろうこれは。どうしたらいいんだこれは。
ADHD特性がある方で瞑想が得意だという方、もしいらっしゃいましたらアドバイスをください。
執着と解放。孤独と愛。人生について考えていると、アンパンマンがチラつく話
皮肉なもんだ。
「どうしてもこれが欲しい!」と思っているうちは、なかなか手に入らなくて、「もういいや」と諦めた頃に、ヒョッコリとやってくる。
そうやって握りしめた執着を手放すことで、望むものが手に入る。
自己啓発系の書籍やら、心理学書やら、宗教の教義やら、『生きづらさ』について調べていると、よく目にするこの概念。
恋人や家族の愛情が欲しくて、束縛しては逃げられて、
名声が欲しくて、良い顔をしてはメッキが剥がれて恥をかき
お金が欲しくて、利己的になって信用を失う。
過ぎたるは及ばざるが如し?
強く欲しいと願うから、目標に向かって進んでいくのに、走って追いかけない方がいいだなんて、うまくいかないものだ。
まあ要するに、「自然体でいろ」ということなんだと思う。
身の丈に合わないことをすると、どこかで取り繕わなければならなくなる。
そうやって、ちいさな無理が積もり積もって、どこかで一気に崩れてしまう。
欲に目がくらんで、冷静さも自分らしさも失ってしまう。
実力が伴わない成功は、代償も大きい。
夢なんて見なければいいというのも違うんだろうな。
自分にあるもので勝負すればいいものを、自信がないからメッキで固めた急造品で取り繕うとしてしまう。
そして厄介なことに、自分の「すごいところ」は、自分じゃ気づきにくいようになっている。
自分では「これくらい出来て当たり前だ」と思って、苦もなくこなしていることが、周囲から見たら物凄いことなんだけれど、それを伝えられても「え、こんなの大したことないでしょ?」と思ってしまう。
「出来て当たり前」のことこそ、その人の才能なのに、いつまでもそれに気づかない人がたくさんいる。
「何にもできない人」なんて、おそらく存在しない。
本人とその周囲に自覚がないということは、不幸なことによくありそうな話だ。
「特に苦労もせず出来ること」を磨き上げることが出来たならそれでいいじゃないかと思うけれど、仕事にしていく上で「それで食べていけるか」どうかという話も絡んできて、自己実現とお金は切っても切れないもんだなあと思う。
親がつい言いたくなる「いつまでも遊んでないで、勉強しなさい。」も、「いつまでも好きなことばっかりやっていないで、安定した職業を探しなさい。」という意味とほぼ同じ。
手放すと生きやすくなる。
諦めると手に入る。
ただし「求めよ、さすれば与えられん」と言う通り、諦めてるだけでも叶わない。
あくまでも自然体の自分のままで
なりたいものや欲しいものを強く願いつつ
目の前に吊るされていてもガッツかず
冷静さと平常心を保ったまま
焦ることなく迷うことなく
自分らしさを見失わず
そうやって手に入れた大事な人やものですら執着せずに手放せと。
無理じゃないですかね?
誰にも、何にも執着しない状態。
それはとても孤独なことで、何でも持っているようで同時に、何にも持っていない。無であり、有。
こういうことを考える時、どうしても脳裏に浮かぶのが、あの丸い顔。
アンパンマンを生み出したやなせたかし先生に、深くお話を聞いてみたかったとよく思う。
自分の頭すら「手放す」アンパンマンは、誰からも愛されているが、彼自身が「特別な誰か(=恋人)」をつくることは決してない。(劇場版「それゆけ!アンパンマン 勇気の花がひらくとき」より)
「愛と勇気だけが友だちさ」というのは切ないフレーズに思えるけれど、アンパンマンには、ばいきんまんがいる。
アンパンマンの世界に、不要なキャラクターはいない。
ありのままであることが、既に誰かのためになっていて、自然体なままで出来ることをすればいい。
今ここに存在していること自体が、スタートであり、ゴールなのかもしれないな。
ADHDを理由に諦めるのを、やめることにした。
運転免許を取った。
猫を飼った。
覚悟の無さを、ADHDのせいにするのを、やめることにした。
こんなタイトルにしているけれど、別にそんなカッコつけたことを言いたいわけでもなく、むしろ「それでも他のみんなは、頑張っているんだよな」という、どちらかというと情けない出発点。
ADHDは個人差が激しく、同じような特性に見えても、皆がみんな同じように苦しいわけでも、同じように頑張れるわけでもないんだけども。
仲間たちの色んな生き様を見ていると、勇気づけられるものがあった。
「迷惑をかけたくない」
「わたしにはきっと責任が取れない」
「自分にその資格はない」
「迷惑をかけるくらいなら、最初からやらない方がいい」
他人より「衝動性による失敗」が多い人生を30余年も歩んでいると、そりゃまあ慎重にもなる。
「また迷惑をかけることになったらどうする?」
「また失敗したらどうする?」
自動車免許も、猫を飼うことも、「命」に関わることで、失敗は許されないと思っていたし、実際のところ、そうだと思う。
慎重になり過ぎるくらいできっと、ちょうどいい。
ただ、自分で言うのも何だが、こう見えて根は真面目なもんで、慎重に慎重を重ねた結果か、運転免許教習所では一度も引っかかることなくストレートで合格。
何年も悩んだ割に、何の問題もなく、あっけなく卒業できてしまった。
(※全てのADHDがそうであるとは限りません)
免許を取った後も、念には念を入れて、旦那がいない時は運転をしないようにしている。
猫を飼うと決めたのだって、もう1年も前の話。
去年の春にはもうすでに、ペット可の物件をわざわざ選んで暮らしていたのに、(わたしにその資格があるのか?責任が取れるのか?)と悩み続け、決断するまでに1年ほどかかってしまった。
事前にリサーチをして、グッズを揃えて、万全の体制で迎えなければならないと気負っていたのに、いざ子猫を迎えてみると、はりきって用意していたものが無駄だったりすることも多くて、どうにも「最初から完璧さを目指す」悪い癖が出ていたのかもしれないなあと思った。
「ADHDの人はね、真面目な人が多いんですよ」
専門家から、そう言われたことを思い出す。
それもそのはず、小さなころから叱咤される場面が多くて、「ちゃんとしなくちゃ」という気負いがみんな、人一倍強いのだと思う。
その反面、無責任だとか、不真面目というレッテルを、自他ともに貼られやすいのも、なんとも切ない話である。
猫を飼うことに対して踏ん切りがつかない私に対して、匿名メッセージなどを通して、たくさんのアドバイスをいただいた。
ADHDを抱えながら、長いこと猫と暮らしている、先輩方からだ。
そのメッセージの数々から、試行錯誤を繰り返しながら、時には悩みながら、愛猫たちと向き合っている様を、伺い知ることができた。
最初から飼い主として完璧な人なんていないし、100%の自信を持って飼い始める人なんて、実はいないのかもしれない。
なんだか、子育てと似ていると思った。
「そんなに気負わなくても、どうすればいいかはきっと、やって来た猫ちゃんが教えてくれますよ」と教えてくださった方がいた。飼い始めてまだ1週間しか経っていないが、その言葉の意味が、分かる気がする。
覚悟とは、どういう時に芽生えるのだろう。
勢いによる部分も、大きいような気がする。
信頼とは、どういう時に感じられるのだろう。
一つ言えることは、わたしは、あまり私を信頼していないということだ。
わたしをよく知っている人、もしくは近しい人ほど、わたしに対して「心配」をする。
「大丈夫?やめた方がいいんじゃない?」
私もよく、そう思う。
わたしを信頼している人ほど、「できるよ」と言う。
わたしは信頼していないので、「どうかな」とそれを否定してしまう。
自分を信じるということは、自分で自分にGOサインを出すということ。
Goサインを出した後は、何が起こっても、責任をとる覚悟で臨むこと。
「わたしには無理」「やめた方がいい」というのはとても簡単で、先延ばしにしてしまいがちだけど、諦めきれないその気持ちは、先延ばしにしたところで消えることはない。
「みんな頑張っているのに、頑張れない自分が情けない。」となってしまうのも、悪いことではないけれど、なんとかそこから、「みんな頑張っているんだな、私も頑張ろう。」に持っていきたい。
できそうもない時は、やらなくてもいい。
周りを頼り、最初から完璧は目指さない。
気負わず、無理せず、出来る範囲を把握する。
過信したり、かっこつけても、面倒なことになるだけだ。
卑屈にも、尊大にもならず、ありのままの自分を見極める時間は必要だ。
もしかしたら私にも、出来るかもしれない。
そう思えるか思えないかの違いは、似たような悩みを持つ仲間たちからの
「あなたなら、きっとできるよ!」
という、一言なのかもしれない。
長所は短所であり、短所は長所であるとするなら、
夢中になれるものを見つけると、わき目もふらずに突っ走り、
思いっきり飛び出せるのも、ADHDのいいところだと、わたしは思うのだ。