「発達障害者は子どもを産むな」に反論してみる
発達障害は先天的なもの(=生まれつきの脳みその特性)である。
加えて、親から子へ受け継がれていく「遺伝性のものである」という説がある。
確率の問題であり、必ず遺伝するとは限らない。
その話を聞いて、妊娠・出産のみならず、結婚も躊躇う当事者が少なからずいるらしい。私も第二子を産むかどうかについて、どうするべきか悩んだ時期があった。
赤すぐネットに寄稿させていただいたコミックエッセイ
当然ながら、最終的には本人が自身の責任において考えるべきことであり、他人がどうこういうべきことではないが、現実はそうではないようだ。
いつものようにTwitterを眺めていると、こんなツイートが目に入った。
あえてピックアップします。 #peing #質問箱 https://t.co/hQy80cL1NV pic.twitter.com/BAyIg4eed3
— まる@ADHD/ASD (@jbn48) 2018年2月1日
これは「質問箱」という、匿名で質問を送ることができるWEBサービスを利用したもの。婚活中のまるさん@jbn48が、Twitterで質問を募集したところ、このような誹謗中傷のメッセージが届いたとのことで、そのことについて考えてみた。
発達障害者は子孫を残すべきではない?
発達障害者は子どもを作るなというのはつまり、子孫を残す権利はないという主張だ。
仮に100歩譲って、人類に害をなすしかない劣等種だとしたら、逆になぜ我々は、こうして今ここに存在できているのだろう。
ADHDやASDが、人間の進化の過程で淘汰されなかった意味について、たまに考えます。劣等種だとして、自然の摂理を考えれば、子孫を残せずに絶滅してもおかしくない。生存競争を生き残り、これだけたくさんの子孫を残してきたという事実を、どう考えるのか。 https://t.co/62z6w0YKbE
— 望月志乃🐈ADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月1日
ADHDのここぞという時の驚異的な集中力と、ASDの論理的・合理的さは、ハンターとして優秀だったかもしれない。感覚過敏も、狩りや、五感をフル稼働させなければならない状況下では武器になるだろうし。現代社会には合っていないのかもしれないが、未来はどうなるか分からないぞ。
— 望月志乃🐈ADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月1日
未来はどう変わるか分からないから多様な遺伝子を残して生き残る確率を少しでも上げる、というのが人間の生存戦略ですからね。
— てっさん (@t_mimachi) 2018年2月1日
前にも少し話題になりましたが、知恵袋によい回答がありました。https://t.co/yyZCvZKzsq
そもそも全ての人間は、「できそこない」だ。完璧な人間など存在せず、多様性があるからこそ、人類は繁栄してきた。
主張に隠された、おかしな「前提」
質問の送り主の言い分をまとめると、こうである。
- 発達障害者は婚活をするべきではない。
- なぜならば、発達障害は遺伝するからである。
(あくまで一説であり、必ず遺伝するとは限らない) - 子どもを作らないで欲しい。
(質問者は赤の他人であり、直接関わりあいがないが、口を出す必要性を感じている) - 子どもを作らないのだから、結婚をするのもいけない。
(結婚は、子どもを作るためにあり、作らないのなら結婚をしてはいけないという思い込み) - 不幸な発達障害者を、増やさないで欲しい。
(発達障害を持って産まれることは不幸でしかないため、最初から生まれてこない方がいいという決めつけ) - 発達障害者は周囲に迷惑を垂れ流すだけの存在なので、社会に出て来ないで欲しい。(多様性の否定。選民思想の持ち主?)
「発達障害者として産まれること」→「不幸な人生」と決めつける人間が、内外に多すぎる。武器にもなるでしょ、この特性。
— 望月志乃🐈ADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月1日
強い言葉の裏には必ず「理由」がある
「弱い犬ほどよく吠える」という通り、大型犬はおとなしく、小型犬は威嚇に必死だ。
攻撃性は不安の表れであるとして、この質問者がここまで強く主張する背景が、どうにも気になった。
質問者は、なぜそこまで言う必要があったのだろうか。
考えられる理由を列挙してみる。
- 普段から発達障害者に迷惑をかけられており、脅威を感じている。
- 自分も発達障害を抱えているが、「子どもに遺伝してしまうかもしれない」のと、「子どもを産めないなら結婚する資格はない」と思っているため、自身の結婚は諦めており、「自分と同じように諦めていない」ことが許せない。
- 劣等感や嫉妬心を抱いており、マウンティングをして安心したい。
- 「自分は自分、他人は他人」という自他の境界線があいまいである。
- 質問者は実在しない。
もちろん、送った本人にしか分からないことではあるが。
私個人の予想としては、2+3+4あたりではないかと思う。5はまあ無いだろうが、仮に5だったとしても、こういうことを言われるのも、よくある話なのが困ったところ。
攻撃性を抱えた当人の問題
「発達障害者としてどうあるべきか」という定義を、人それぞれ持っていて、そこから外れる人間を攻撃する人もいるが、価値観の問題であり、攻撃されている側の問題ではない。
要は、「あなたはそう思うのね、わたしは違うけど。」で終わる話なのである。
得意分野で活躍する発達障害者たち
研究職や芸術家なんかは適職だと思います。過去にすごい発明した人(エジソンなど)や時代の常識にとらわれず動いた人(坂本龍馬など)ADHDだ、なんて言われていますよね。多様性こそが種の繁栄につながるので、障害というより特性と私は思っています。
— ぐうたらこ (@guutaraco) 2018年2月1日
漫画家にADHDが多いのではないかという話もあるし、世の中からADHDがいなくなったら、確実につまんない世の中になると思う。
— 望月志乃🐈ADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月1日
全ての発達障害者が天才なわけではないし、こういう話を聞いて「エジソンのような才能がなければ存在価値がないのか」と感じる当事者もいる。
それでも、「個性的である」ということは「おもしろい」ということだ。
誰もが「普通」な世の中は、絶対につまらない。
普通である人間なんていないのに、普通を求める社会もおかしい。
色んな人がいるから面白いし、刺激的なんだと思う。
「発達障害者の個性的・魅力的なところ」について語ると、「それでは困る」人達から反発を受けることもある。「没個性である」ということにコンプレックスを感じる人間もいるし、自分より格下(だと思える)の人間を常に必要としている人もいる。言葉通りに受け取っても傷つくだけかも。
— 望月志乃🐈ADHDエッセイスト? (@shinoegg) 2018年2月1日
言葉通りに受け取ってはいけない。
言葉の裏側には、色んなことが隠れている。
少なくても私は、それなりに苦労もしてきたけども、自分のADHDっぽさを愛しているし、人生おおむねハッピーである。
なあ、みんな。
発達障害を持っていたって幸せになれるっていう、生き証人になっていこうな。
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続きを書きました。
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