旧・望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

発達障害者が結婚について現実的かつ前向きに考えてみる

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前回の記事で、発達障害の特性を持った女性が、婚活していることを理由に、誹謗中傷を受けたという話について書かせていただきました。

詳しいことは前回の記事を御覧いただくとして、簡単に説明しますと(あくまで私個人の予想ではありますが)、誹謗中傷の内容から、「発達障害が遺伝する可能性があるのなら、子どもを産んではいけない」し、「結婚するべきではない」という思い込みを抱えた人物像(おそらく同じ当事者)が浮かび上がったという内容です。

このブログのコメント欄だけでなく、ツイッターや、はてブコメ等を通して、様々なご意見をいただきました。ありがとうございました。

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頂いたご意見・ご感想を見ながら、考えてみたことをまとめてみます。

 「言うまでもないこと」はまだまだ共有されていない

わたしは次のことを「もう書くまでもないことだ」と思っていましたが、残念ながら現状は、まだそのレベルにも達していないのだということを知りました。

  • 発達障害と一口に言っても、一人一人に個性があり、価値観があり、生き方があり、様々な幸せの形がある。
  • 本来ならば、人類の繁栄や、種の保存について述べる以前の問題である。
  • 発達障害がある相手の「存在価値」や「生き死に」について、上から許可を与える権利は誰にもない。
  • 発達障害者には、人権がある。
  • 発達障害者には、自由に生きる権利がある。

こんなことを書くと「権利を主張する前に義務を果たせ」という反論が飛んできそうですが、(確かに義務を果たすことも大事ですが)全ての人間には、生まれながらにして自由に生きる権利があります。

特に赤字は大事なことで、結婚するもしないも、誰にも強制することはできません。誰に何を言われようと、結婚したいならすればいいし、したくないならしなくていい。

言うまでもないこと…つまり、「主張する必要もない」はずのことなのに、現実はそうではないから、言葉にして伝えていかなければならないのだなと。

当たり前だと思っていることは、決して当たり前ではないし、当たり前じゃないと思っている人のために、何度でも省略せずに言い続ける必要があるんでしょうね。

そのことについて悲観をしているというより、改めて現状を把握できたという気持ちです。

高確率で遺伝してしまうという暗黙の了解

あくまで仮説の一つにすぎず、必ず遺伝するとも限らないけれど、生まれ持った脳の特性によるものだとしたら、親に似る可能性は否定できない。

そんなことは皆、あえて口に出さないだけで、薄々分かっているからこそ、結婚について悩んだり、苦しんだり、迷ったりして、自由に生きられず、生きづらさを抱えている。そんなことは、当事者にしてみれば「言われるまでもないこと」なんですよね。

ただ、部外者はその様子を見て、「こいつら、ちゃんと分かっていないのでは?」と不安になって、「本当に事の重大さを分かっているのか?」とクギを刺したくなってしまうのかしら。

ADHDの人はとにかく「心配」される

ADHD特性を持った人間は、多くが「うっかりさん」なので、ミスによって叱られることが多いわけですが、同時に「心配される」ことも多いわけです。

こちらのためを思う、愛のある心配だけでなく、「不安を抱えた人」の心配に足を引っ張られたり、縛られることもある。

「あなたなら出来るよ」という信頼が、他人に勇気を与えるのに、全く逆の状況に身を置かれやすい。

そして多くの当事者が自分でも自信を持てず、「心配されても仕方がない」と、色んなことを挑戦する前から諦めている部分もあるんだと思います。

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勉強、就職、結婚、出産…。

何をするにも、誰もが、幸せになりたいと思うからこそ悩んでいて、そのために「覚悟と勇気」を持って「選択」し、その選択に責任を取りながら生きている。

 

もう誰にも迷惑をかけたくないと願うからこそ、

誰よりも身の程を知っているからこそ、

必要以上に慎重になってしまって、幸せを自分から諦めてしまう人が多い。

冒頭で紹介した誹謗中傷の送り主も、きっとそんな一人なのではないかと勝手に想像しています。

 

恋人に発達障害があることを知って結婚をためらう人もいる

誰もが、幸せになる権利がある。

幸せのための選択は自由であるべきだし、決して責められるべきことではない。

うまくいっているケースだけに目を向けて、理想論を語ることはできるけれども、「カサンドラ症候群」に悩む人は実際にいて、その人たちの苦しみを、決して無視してはいけない。それもまた現実だ。

アスペルガー症候群(AS)の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じるという仮説である。 

引用元:カサンドラ症候群 - Wikipedia
※アスペルガー症候群は発達障害の一種です

 

「あなたは当事者だから分からない」という旨のことを言われることもあるけれど、自分よりもかなり癖のある両親を、何十年も相手にしてきたので、実はそれなりに理解していたりする。

わたし自身はアスペルガー症候群ではないし、なにやら最近ADHDもグレーな感じ?になってきたけども、愛する夫や娘が、自分のせいで不幸になるのではないかという不安を抱えてきた。

困った家族に苦しめられてきた過去があるからこそ、自分のせいで旦那や娘に無理をして欲しくない。無理の上で成り立っている関係は、いつか必ず破たんしてしまうと思っているので、かなり大きな不安となって私の心に重たくのしかかっている。

大切にしたいと思うからこその悩みなんだと思います。

全ての関係がうまくいくとは限らないけど、みんなどこかで誰かに支えられていると信じたい。

「多様性を認めないという個性」を受容することについて過去に記事にまとめました

 

自分だけ幸せになるなんてことはできない

特定の発達障害者への恨みつらみを、無関係なはずの私個人や、発達障害者全体に向ける人もいる。

欠点のない人間などおらず、「困ったところ」を理解し、歩み寄り、お互いが幸せを与え合える関係性に、どうやってなっていけばいいのか。

相手から与えられることばかり考えていると、相手の負担が増えるばかりで、結局は自分たちのためにならない。情けは人の為ならずとはよく言ったもんで、与えたものが自分に返ってくるようになっている。

 

幸せになりたいのなら、自分の周りを幸せにすることに、頭と手と言葉を使えばいい。

どんなに不器用でも「ありがとう」を伝えて、自分なりの恩返しを考えればいい。

 

そりゃあ、外から見て勝手に色んなことを言う人がいるけれど、そうやって努力して築いた「自分の周り」の人たちは、「困ったところもあるけれど、愛すべき憎めないヤツ」と理解してくれる。

希望的観測にすぎず、単なる私の願いみたいなものだけど、実際そうなんじゃないのかなあ。

発達障害の有無に限らず、どうしたら「自分にできることで、相手をより幸せにできるのか」を考えることこそが大切で、あとは相性の問題なんじゃないのかしら。

そしてそれは「無条件で自分を許容するべきだ」と、パートナーに無償の愛を求めていたり、「自分なんて何もできやしない」と思っているうちは不可能なこと。

誰に何を言われても、冷静かつ客観的に「自分は何が得意で、何が不得意なのか」ということを、まず知る必要がある。 

「お前ら(私ら)なんて、〇〇する権利はない。」という言葉に負けないで、自分自身と、相手のことを見極めて欲しい。

本当は出来ることを、勝手に諦めないで欲しい。

「できやしない」「そんな権利はない」という思い込みを捨てよう。

「部屋が汚い女は結婚できない」と思い込んでいる人もいるけれど、全く気にしない男性もいる。

傷つきたくなくて、やる前から理由をつけて諦めたり、そうやって予防線をはるのが、「自分を守るために必要な時もある」けれど、恐れずに挑戦する(ように見える)人への嫉妬に変わってしまうこともある。

自分の可能性を見極めることは、痛みを伴うし、覚悟もいることだけど、外野の声に惑わされてはいけないんだと思う。

 

色んなことを、やいのやいのと言う人もいるけどさ。

自分と、パートナーを幸せにするために、頭を使っていければ、少しずつ周りが変わっていくかもしれないよ。

 

傷つくこともあるだろうけど、私はここから応援しています。

 

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