「母親失格」のレッテル貼りと責任と覚悟(Twitterまとめ)
人気モデルの道端アンジェリカさんが「週一でベビーシッターに任せて彼とデートしたい」とテレビ番組で発言し、それに対して批判が殺到しているそうです。
アンジェリカの週一ベビーシッター発言に対するバッシングに絶望したのは、これが老人の意見じゃなくてごく若い世代のものだったから。これからの数十年もこの国では「母親は自由を奪われるべき」という思想がまかり通るのか…と考えて気が遠くなった。 pic.twitter.com/unMIWFTisN
— 椎名 (@shiina_rat) 2015, 3月 24
私もちょうど最近、『なぜ「Take it easy」な育児は許されないのか』というタイトルで関連記事を書いていました。アンジェリカさんの発言に限った話ではなく、ここ最近何かと話題になる「母親なら○○すべき」論について、新たに考えたことをまとめておこうと思います。
★過去の関連エントリー
「親なら子どものためにこうするべき!」という厳しい目を向ける若い人が多いのは視点が子どもサイドだからなので当然
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
親の心子知らず、そのへんの親の心、他人知らず。知らないことが悪いわけではないと思うし、知る必要がない場合もある。かなしいなあ、と思うけど、自分も親に多くを求めた過去があるので、なんとも複雑な気持ち。
ちょうど最近、「幼稚園グッズはお母さんが頑張って手作りしてあげるべき!」と幼稚園サイドから要求されたというツイートが、育児クラスタの間で話題になっていました。
幼稚園の手作りグッズ類、わたしはミシン購入も検討したが結局、裁縫が得意な先輩に頼んで作っていただいた。「苦手なことでも挑戦して成長しましょう!」もいいけど「苦手なことは得意な人に頼ってみましょう!」っていう教育方針もありなんじゃないのかなと不器用は思うわけですよ#言い訳
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) 2015, 3月 24
幼稚園グッズが揃いました。これなんと、全部手作り!ランチョンマットの刺繍は手縫い!もちろん私が作ったわけではないです!!ヨーコさん(@yookobruno )ありがとう!!!天才か
「母親だったら家庭科が得意で当然、そうでなければ子どものために出来るまで努力しろ、そうでなければ母親失格」とでも言いたげな人が多い。それでいくと努力してもアレな私は今すぐ母親を辞めなきゃいけないんだけど、面倒をみるのは私しかいないし誰も発言に責任をもたない。娘に言われるなら分かる
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) 2015, 3月 24
子育てに一番必要なのは、「覚悟」だよなあと常々思う。世間の人や自分の子どもに何を言われようが、親として最善を尽くし続ける覚悟。反抗期の娘に、きっと責められるんだろうなあと思いながら、今より少しでもマシになれるように出来ることを出来る限りやる日々。「今すぐ変われ!」と言われても無理
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 24, 2015
結局のところ、他人に何を言われようがその時にできることをやるしかない。
子育てをしていると、恨んでいたはずの自分の親に、感謝や同情をせざるを得ない。軽々しくネットには書けない積り積もったイヤ~な思い出のアレやコレが沢山あるけど「それはそれ、これはこれ」で、親から与えられてきたもので感謝できるものも多くある。母がいつでも全力だったのは昔から分かっていた
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 24, 2015
他者を認めることで、自己も肯定できる。自己を許容できないものは、他者も許容できない。過去を否定しても、未来を否定しても、どうにもならない。現在を肯定しながら最善を尽くし、他人にも寛容な自分でいたい。難しいけどさ。
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 24, 2015
自分で自分を抑圧して我慢している人は他人がのびのびやることを許すことができない
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
赤の他人に育児方針について何を言われようがその人が何かをしてくれるわけでも発言に責任を持つわけでもないしどうでもいい
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
自分の育児に自信がなくて、娘の将来を心配しては悩んでいたけれど、そうやって悩んでいたことの全てが今のところ杞憂に終わっている(言葉が遅れているのでは?色が分からないのでは?愛情不足なのでは?等)。いくら専門家に「お母さん大丈夫ですよ、頑張ってますよ」と言われても信じられなかった。
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
今日、保育園最後の日となり(無事最後の日になった)、ずっとお世話になっていた先生から「チビ乃ちゃんは何にも心配ないです。チビ乃ちゃんを見てれば分かりますよ。自信もって幼稚園に送り出してください!」と言われて、ちょっと泣きそうになった。
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
産まれてからずっと、比喩抜きで死にそうになりながら育てて、禿げるほどいちいち心配して、自分を責めて。そうやって子育てしているお母さんが大多数だけど、そういう歴史や背景って、他人からしたら分からないし。ちょっとしたことで「母親失格」のレッテルをそりゃもう気軽にペタペタ貼っていく。
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
大多数と書きましたが、もちろん例外も様々あるでしょうね。それはそれで苦悩がありそう。虐待やネグレクトを肯定はしないけど、そこに至った背景を無視して安易な否定もしたくない。母親失格と決めつけるのは簡単ですけど、私も決めつけられたくはないですし。
レッテルを貼られたからなんだと思う今日この頃。貼られたらそのように自分が変わるわけでもないし、私に貼られたレッテルを見て「…あっ、みてみて!あの人ってそうなんだ~」って思う人が出たとしても、自分は違うと思うなら剥がせばいい。きっとマスキングテープくらいの気楽さと粘着力しかない
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
ただ盲目的になってアドバイスに耳を傾けられなくなるのも嫌なので、誰のどういう声に耳を傾けるべきなのか、考えているところ。
— 志乃★LINEスタンプ販売中☆ (@shinoegg) March 25, 2015
誰のどの意見を参考にするかは、自分で決められるし、自分や自分の属性(母親など)に向けられた意見のすべてを真摯に受け止める必要はないんですよね。
過去に「アンチの意見を参考にした話」というタイトルで思うことを書きましたが、あれからも色々とあり、今はそんなふうに考えるようになりました。それが本当に自分のためになると思うのなら、参考にするところはすればいいし、何も得るものがなさそうなら無視しても構わない。
罵詈雑言の中にお宝を見つけようとするのは、明らかに自傷行為なので、私はもういいかな…と、思いました。そんなことをしなくても、知る方法はいくらでもありますから。
「〜すべき!」という誰かの意見は、その人がそうしなければならないと思っている、その人の価値観に過ぎないですし、そしてそれは、善し悪しでも、従わなければならない義務でもない。当事者に押し付けていいものかどうか。覚悟と責任があるかどうか。
子育ては特に正解がなく、周りからなんやかんやと言われながら、できないことを何とかする方法を模索したり、「これでいいんだ」と時に自己正当化をしながら、自分の信じた道を行くしかない。その結果、子どもの将来がどうなるのか、その因果応報を受け容れることができるかどうか。誰かの意見を聞くことも大事だけど、それで失敗しても、その誰かのせいにはできない。
週一でデート、そういう家庭もありでしょう。そうすることで夫婦関係が安定し、円満家庭を築くパターンもあるでしょうし、夫婦関係が良好な家庭で育った子どもは、情緒が安定したり、自己肯定感が育まれると聞いたことがあります。「子どもを放ったらかしにして毎週デートだなんて」と否定をする人もいますが(私もたぶんそれが可能だとしてもしない)「けしからん!」と、赤の他人がよそさまに過干渉してみても、余計なお世話以外の何物でもない。
よそはよそ、うちはうち。
こんだけ長々と書いておいて、結局これ。わあ。当たり前。いつも通りか。
ここまで読んで下さって、どうもありがとうございました。
★LINEスタンプ、売れてます(ありがとうございます…)