旧・望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

アンチの意見を参考にした話

 

「ヲチ被害 対処法」「ネット 誹謗中傷 対処法」「嫌がらせ 心理」等とググると、出るわ出るわ、「そんなクズの言うことなんか無視しろ」「可哀想な奴が私に嫉妬してるんだ」「スルーできない奴もバカ」的なご意見。それに対して思うことがあったので、私なりの見解を書いていきたいと思います。

 

まずはそのことについて考える経緯のご説明から。

私は以前から「失敗や困難をネタにして皆と笑い飛ばす」という信念のもと、陣痛を実況してみたり、失敗した料理について仲間達と笑ってみたりと、楽しさを共有したいという思いから、面白おかしくTogetterにまとめてきました。


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世にコンテンツを発表し、拡散された際に避けて通れないのが「批判」。多くの表現者が頭を悩ませている問題かと思います。

私も御多分にもれず、イヤ~な目に遭いました。

 

私のまとめに対して、承認欲求がどうのとか、自分に酔ってるとか、そういうご意見は、そんなこと言われてもなあ、的外れだなあって感じなんだけど、前々から言われている「食べ物を粗末にして反省もせずにはしゃいでいる」っていう意見に関しては、そう言われても仕方ないよなあと毎回思うんですよね。

超えちゃいけないラインは超えてないつもりだけど、こればっかりは人によるし、もう「こいつ嫌い」で動いてる人もいそうだから理屈じゃない部分もあるんだろうなあ。

 

(長年の夢が叶って、やっと自分の本が出せる!でも自信ない!全く売れなかったらどうしよう!!?)って気分でストレスで胃をやらかしたり連日眠れない時に、Amazonレビューに「え~~!?!?!?」って言うしかない悪評を書かれたり。(今はそれも仕方がないと納得できますが、当時はとてもそうは思えませんでした)

 

陣痛なう

陣痛なう

 

  

そういう「イヤ~な目」に遭ったことがない人から、「気にするな」とか「批判される覚悟がないなら最初からやるな」という正論めいたことを言われても、なんにも心に響かないんですよね。

そうは言っても、不特定多数から悪意を向けられ、その集団にあることないこと書かれて悪い噂を流され、足を引っ張られていたら、邪魔なモンは邪魔だし、気になるモンは気になってしまうわけです。

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かと言って、同じく「イヤ~な目」に遭ったことがある他の人の話を聞いてみても、そっちもどうにもピンと来ない。

 

批判の内容が納得できるものならともかく、誤解であったり、決めつけであったり、悪意にまみれたものであったりすると、原因を把握したいという思いから「この人は、何故こんなことをするのだろう?」という疑問が湧き、自分が納得できる答えを探したくなります。その「叩かれた側が納得できる答え」として、ネット界で最もポピュラーなものが「自分よりも下にいる連中が、自分に嫉妬して引きずり降ろそうとしているに違いない」であるとか「荒らしはスルー」といった類のものなのだと思います。

 

「実社会で誰からも相手にされないので、ネットで存在感をアピールしている」
「実生活でのストレス(仕事、学業、家庭など)を、ネットで憂さ晴らししている」

「陰口しか能がない卑怯者ども」

「貶すことで、相手より自分が上だと思いたい」

 

以上が、「ネットで嫌がらせする人の心理」として、よく見かけるものです。

勿論、実際にそうである場合もあるんでしょうが、じゃあ「いくら有名になっても一向に叩かれる様子がないクリエイター」が存在するのは何故でしょうか。自分がそうなれないのは、何故なんでしょうか。

 

批判の中には納得できるものも存在しますし、気付かなかった自分の側面を垣間見れたり、多くの方に愛されつつ創作活動を続けるためのヒントになるものもあるはずです。

 

「卑怯者のゴキブリ野郎どもが嫉妬して何か言っとるわ~!痒~い痒い!」と豪快に笑い飛ばして意に介さないのもひとつの手だと思うのですが、それがなかなか出来ない人間もいます。っていうか、「こんなことをしてくる相手は自分よりも下だ、どうせこういう奴に違いない」とレッテルを貼り、自分の方が上だとマウンティングをし返すのであれば、それこそやっていることが同じな気がします。

 

「嫌なら見るな」と言われても、人間ですから、クサイと分かっててもついつい自分から嗅ぎたくなる時がありますし、「今のオナラ臭くない!?」と誰かと盛り上がりたくなる時もあります。「陰口叩くなんてサイテー!」だなんて言ってみても、誰かの陰口を叩いて団結したり、胸がスッとしたりした経験が、全くない人もいないはずです。

 

私が見たところ、私へ批判コメントを残す方々には、いつも特徴がありまして、コメントから「私はこの人のやっていることが変だと思うのに、多くの人から賞賛されているのが気持ち悪い。私がおかしいの?」といったような、「疎外感」と「不安感」を感じることがよくあります。私がやっていることの多くは「ギリギリを狙った悪ふざけ」であることが殆どなので、不快に感じる方がいるのも当然ですし、不快になる人がいると理解した上でやっていることなので、私は立派な加害者でもあるわけです。それなのに、どういうわけだか盛り上がっている。

 

「こいつを、おかしいと思う私(の感性)が間違っているんだろうか?」

 

確認したくなりますよね。そりゃね。

おおっぴらに書いたら、信者(?)に何言われるか分かりませんから、影で確認するしかないですよね。こわいしね。

そんで仲間を見つけたら、「私だけじゃないんだ…!」って、きっとホッとするよね。それで安心して満足する人も、結構いらっしゃるんだと思うのです。

 

他人の至らなさが気になるのは、その人がそれだけ頑張っている証拠。自分が大事にしていることやモノを、堂々と粗末にしている(ように見える)人を見かけたら、不愉快にもなるだろうなあ。その人の美学でもって、控えるべきだと思っている言動を恥も外聞もなくやっている人を見かけたら不愉快だろな。

わたしを通して結局は自分の姿を見ているのでは(投影)…って思ったりもするんだけど、実際のところは私に分かりっこねえしな。叩かれる側も人間だが、同時に叩く側も人間。見下されたからって、見下し返して、自分の都合のいいようにレッテル貼りすんのもナンセンスだわな。

 

私は笑いを取るために、ネット人格を演じるところがありまして、自分では「ピエロをやっている」という認識でいました。そして「ピエロに対して、真面目にやれ!とお叱りを言う方がおかしい」とも思っていました。

その芸を面白いと感じる人もいれば、つまらない上に不快でしかないと感じる人がいて、私はそれを理解しつつ、それでも自分が楽しいから、目を背けながら続けてきたわけですよ。失敗する度に自分を責めて落ち込み、次こそはと反省したり、習うより慣れろで実はそこそこ上達していることとか、「舞台裏では、本当はこう」なんて言う事実は、旦那が分かってくれていればそれでいいと思ったし、そういうシリアスな部分や「ありのままの私」は表に出さない方が、楽しめるコンテンツだったんですよね。結果として、いらぬ誤解を生んだりしたわけですが、そんなふうに自分から誤解するような表現をしておいて「また誤解された…」と落ち込むのが、だんだんバカバカしくなってきました。っていうかバカでした。

 

「【面白いアタシ】に酔ってる感が鼻につく」なんて言われたのも、実際は全くの逆なので、最初は言っていることが全く理解できませんでしたが、「本当はつまらない人間だと言うことがバレるのが怖い。面白い人間だと思われたい」という気持ちが強すぎた結果、そういう印象を生んだのかなあと思ったりして。

 

原因があるから、結果がある。
その原因がなんであるかを考えて、これからの自分の行動に活かすことにしたら、見えてくるものもたくさんありました。

 

「本当は違うのに」「そんなんじゃないのに」って思うくらいなら、誤解を生む表現なんか最初からするもんじゃねえな、と。

 

万人受けするネタって、難しいです。

どれだけ気を使っても、不快に思う人は出てくる。仕方ないことかもしれないけれど、私は楽しんで欲しくてやっているわけだから、それは本意ではない。

でも、楽しみに待ってくれている人達の期待を裏切るようなこともしたくないんですよね。何より、本当に申し訳ないんだけど、私は楽しいし。

わたしは、仲間とゲラゲラ笑えればそれで良かったんですよ。

 

私がこういう記事を書くことで「アンチがますます自己正当化を激しくさせて調子にのる」と考える方もいると思うのですが、こんなふうに考える奴も世の中にはいるってことで、宜しくお願い申し上げます。

 

世の中、色んな人がいますよね。

 

最後に、今後のわたしの目標を置いて、終わりにします。ここまで読んで下さって、どうもありがとうございました。

願わくば、クリエイターとして、なるべく誰に対しても胸をはれるコンテンツを創れるようになりたいものです。

 

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