旧・望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

「ADHDだと思い込んでいる低スペック人間が多過ぎる」?自称ADHD批判へもの申す

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どうも。志乃です。

タイトルの通りの、ショッキングな言葉がツイッターで話題になり、ここ数日かけ巡りました。

あまりにショッキングなもので、私が話題にすることでさらに傷を広げる危険性もあり、ブログを更新するかどうか迷ったのですが、コメントを見て思うところがあったので、この記事を書いています。

この発言の問題点

複雑な問題に直面した時、人間の脳はそうやって省エネを測る傾向にあるそうです。
もちろん、わたしも例外ではありません。だからこそ、「個人の見解」が危険だと感じる。

 

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「医師の診断が絶対だ」というのがいかに曖昧で馬鹿らしいものかを図解で説明しています

 

 

このブログでも口を酸っぱくしてお伝えしてきましたし、ADHDを扱う媒体では必ず一言添えられている言葉があります。

「発達障害には個人差があります。症状は一例であり、全ての人に当てはまるわけではありません」。

まず、何でそんなこと言ったんだろうね?意図は何だろう?

 

「言い訳にするな」

「免罪符になんてならないぞ」

「甘えだ」

「自己を客観視して、現実を見ろ」

「ちゃんとやれ」。

とにかく日本人は、この考え方に縛られて「生きづらさ」を加速させる傾向がある。

 

うつ病闘病中にも、似たようなことがありました。

「なんちゃって鬱」というネットワードに傷つき、恐れ、回復が遅れた経験もあります。

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本来、知識の乏しい素人に、パッと見て診断できるものではないのですが、白黒はっきりつけたがる人がいる。

今回のこの発言者の意図は不明であり、勝手な推測ではあります(我ながらそれもどうかと思うけど)が、言葉が攻撃的であればあるほど、「(自分が)困る」という不安の心理が潜んでいる気がしています。

 

不安を抱えた人ほど、マウンティングをしたがります。

じゃあ、なにがそんなに嫌で、不安なのか。

 

「ただの自称のくせに」一緒にされたくない?

 

なんども言うように、発達障害を語る上で問題になってくるのが「個人差」の問題。

無かったことにしたくとも、そうはいかない。

白黒はっきりつけたいけれど、医師にも、神様にだって、白黒はっきりつけることはできない。

人間は誰もがグレーで、定型発達者(発達障害ではない人のこと)だって、真っ白ではなく、薄いグレーに過ぎない。

 

生きづらさを解決するには、自己と向き合うことが大切

自分の人生を、自分らしく歩むためには、自己と向き合うことが必要になってくる。

それは難しいことだし、痛みも伴うし、とても勇気がいること。

そこで揶揄したり、自己理解への道を強く遮断するような言葉を投げかけてしまうと、問題解決への芽を摘んでしまうことになる。

一方で、「自分ではどうやっても客観視できない部分」はあり、それを他者から見てもらうことで、さらに自己理解を深める必要もあるだろう。

 

服薬や通院ではなく、自己理解を深めて生活の工夫を凝らし、環境を改善することで改善をはかる当事者もいる。(かつて私も、実際に発達障害支援センターで行っていたことです)。

 

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医師によって変わる曖昧なもの

大人の発達障害は、ここ数年で急激に認知度が広まりました。

ちょっと前まで取り扱っていない精神科が大多数で、今もなお、発展途上にあります。

医師の間ですら、いまだに理解が追いついていません。

医師によって言うことが本当に違います。

 

「持っている特性が強烈だとしても、それが許されている環境にあるなら、それは発達障害ではない」とされることもある。

 

そんな中で「医師の診断が下りているかどうか」にこだわり、そうでないものを厳しく断罪することが、いかに危険で、愚かしいか。

大事なのは、一人一人が自分と向き合い、生きづらさの改善へ向けて、試行錯誤を繰り返すこと。

そこを阻害するようなもの言いは、本当にやめていただきたいと思います。

 

そもそも何をもって「低スペック」なんだろう

学歴?経歴??知能指数???仕事の出来不出来????

 

個人差があるものだから、「一緒にされたくない、誤解されたくない」のなら、素人判断で他人を否定するのではなくて、「自分はこうです」と自己開示した方が、平和的な解決になると思います。

 

 

自分は発達障害でなきゃ困るし、相手が発達障害だったら困る? 

「自分は発達障害でなきゃ困る」という気持ちに囚われても、自己理解から遠のき、おかしなことになってしまう。

私は病院に行く目的を「自分を客観的に知るキッカケにする」と捉えています。

 

 「他人がどうあれ、自分は自分」という芯がしっかりしていれば、「他人が何をどう言っていようが、自分は自分だ」と、誰に攻撃的になるでもなく、まっすぐ立っていられる。

 

自分とは何なのかを恐れずに探っていきたい

他人との比較に意味はない。

自分とはどういう人間で、どう生きていきたいのか。

「自称○○」という否定の言葉に惑わされることなく、どうか自分の人生を自分なりに見つめることを諦めないでほしい。

 

違ったら違ったで、またひとつ、理解が深まるはずだから。

 

 

現場からは、以上です。

 

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