「ADHDだと思い込んでいる低スペック人間が多過ぎる」?自称ADHD批判へもの申す
どうも。志乃です。
タイトルの通りの、ショッキングな言葉がツイッターで話題になり、ここ数日かけ巡りました。
あまりにショッキングなもので、私が話題にすることでさらに傷を広げる危険性もあり、ブログを更新するかどうか迷ったのですが、コメントを見て思うところがあったので、この記事を書いています。
- この発言の問題点
- まず、何でそんなこと言ったんだろうね?意図は何だろう?
- 「ただの自称のくせに」一緒にされたくない?
- 生きづらさを解決するには、自己と向き合うことが大切
- 医師によって変わる曖昧なもの
- そもそも何をもって「低スペック」なんだろう
- 自分は発達障害でなきゃ困るし、相手が発達障害だったら困る?
- 自分とは何なのかを恐れずに探っていきたい
この発言の問題点
周知徹底されるまで何度も言うが、発達障害は個人差があり、グラデーション状だから、「ADHDと勘違いしてる」とか、パッと見で素人が簡単に白黒つけられるもんじゃないんだよ。グレーゾーンの人だって、境界線の内側ギリギリにいる人だって、それぞれに辛い。見下して何になるんだ
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
この「個人差」こそが厄介なのよ。複雑なものなのに、みんな横着して、画一化や単純化したがるから。
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年5月29日
複雑な問題に直面した時、人間の脳はそうやって省エネを測る傾向にあるそうです。
もちろん、わたしも例外ではありません。だからこそ、「個人の見解」が危険だと感じる。
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「医師の診断が絶対だ」というのがいかに曖昧で馬鹿らしいものかを図解で説明しています
白黒はっきりつけたがるけど、発達障害は専門家にだって白黒はっきりつけづらいもんなんだよ…。医師によって診断基準があいまいだし。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
「なんちゃって鬱」とか「自称ADHD」とか、問題解決への芽を摘んで萎縮させるだけ。通院や服薬だけが解決方法じゃない。 https://t.co/74lTMZMWWn
このブログでも口を酸っぱくしてお伝えしてきましたし、ADHDを扱う媒体では必ず一言添えられている言葉があります。
「発達障害には個人差があります。症状は一例であり、全ての人に当てはまるわけではありません」。
まず、何でそんなこと言ったんだろうね?意図は何だろう?
言葉がショッキングなのでリツイートはしないが「自分のことをADHDと勘違いしてる◯◯」って言い回し、うつ病でもある。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
「勘違いだ」「甘えだ」「そんなんじゃないくせに」の他に「俺の方が辛い」とかも言語外の意味を含んでそう
「言い訳にするな」
「免罪符になんてならないぞ」
「甘えだ」
「自己を客観視して、現実を見ろ」
「ちゃんとやれ」。
とにかく日本人は、この考え方に縛られて「生きづらさ」を加速させる傾向がある。
うつ病闘病中にも、似たようなことがありました。
「なんちゃって鬱」というネットワードに傷つき、恐れ、回復が遅れた経験もあります。
本来、知識の乏しい素人に、パッと見て診断できるものではないのですが、白黒はっきりつけたがる人がいる。
今回のこの発言者の意図は不明であり、勝手な推測ではあります(我ながらそれもどうかと思うけど)が、言葉が攻撃的であればあるほど、「(自分が)困る」という不安の心理が潜んでいる気がしています。
自分がADHDかどうかって本当はどうでもいいのかもしれないなと最近は思うけど。「私が悪かったわけじゃないんだ」と長年の自己嫌悪から解放されて前を向けるようになる、必要なフェーズもあるのよね。言葉のナイフで他人を罵倒して、どうしたいのかは謎。マウンティング?
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
不安を抱えた人ほど、マウンティングをしたがります。
じゃあ、なにがそんなに嫌で、不安なのか。
「ただの自称のくせに」一緒にされたくない?
要するに「ただの低スペックな奴らと一緒だと思われたくない、低スペックなだけなのに自称すんな」って言いたいのかなあ。自分らのプライドを守るにしても、やり方がまずい。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
なんども言うように、発達障害を語る上で問題になってくるのが「個人差」の問題。
無かったことにしたくとも、そうはいかない。
白黒はっきりつけたいけれど、医師にも、神様にだって、白黒はっきりつけることはできない。
人間は誰もがグレーで、定型発達者(発達障害ではない人のこと)だって、真っ白ではなく、薄いグレーに過ぎない。
自分への誤解を払いのけたいなら「おまえは違う」じゃなくて「俺はこう」で周りへ自己紹介するしかないじゃんか
— 望月志乃🐈誤ブロック多発・ごめんなさい (@shinoegg) 2018年5月29日
生きづらさを解決するには、自己と向き合うことが大切
みんな一生懸命、悩みながら自分の人生を模索してんだよ
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
バカにすんな
自分の人生を、自分らしく歩むためには、自己と向き合うことが必要になってくる。
それは難しいことだし、痛みも伴うし、とても勇気がいること。
そこで揶揄したり、自己理解への道を強く遮断するような言葉を投げかけてしまうと、問題解決への芽を摘んでしまうことになる。
一方で、「自分ではどうやっても客観視できない部分」はあり、それを他者から見てもらうことで、さらに自己理解を深める必要もあるだろう。
服薬や通院ではなく、自己理解を深めて生活の工夫を凝らし、環境を改善することで改善をはかる当事者もいる。(かつて私も、実際に発達障害支援センターで行っていたことです)。
医師によって変わる曖昧なもの
大人の発達障害は、ここ数年で急激に認知度が広まりました。
ちょっと前まで取り扱っていない精神科が大多数で、今もなお、発展途上にあります。
医師の間ですら、いまだに理解が追いついていません。
医師によって言うことが本当に違います。
「持っている特性が強烈だとしても、それが許されている環境にあるなら、それは発達障害ではない」とされることもある。
そんな中で「医師の診断が下りているかどうか」にこだわり、そうでないものを厳しく断罪することが、いかに危険で、愚かしいか。
大事なのは、一人一人が自分と向き合い、生きづらさの改善へ向けて、試行錯誤を繰り返すこと。
そこを阻害するようなもの言いは、本当にやめていただきたいと思います。
そもそも何をもって「低スペック」なんだろう
学歴?経歴??知能指数???仕事の出来不出来????
「知的障害を伴う発達障害者もいれば、そうじゃない発達障害者も大勢いる。高IQな発達障害者もいれば、低IQな発達障害者もいる。」
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
そんな中で、知能の優劣で断罪しようとする危険性がわからないのかしら…
個人差があるものだから、「一緒にされたくない、誤解されたくない」のなら、素人判断で他人を否定するのではなくて、「自分はこうです」と自己開示した方が、平和的な解決になると思います。
匿名相談でよく「そうじゃないって言われるのが怖いんです」と相談されたことを思い出して、やるせなくなってる。みんな真剣に悩んでたんだよ…
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月29日
自分は発達障害でなきゃ困るし、相手が発達障害だったら困る?
「自分は発達障害でなきゃ困る」という気持ちに囚われても、自己理解から遠のき、おかしなことになってしまう。
私は病院に行く目的を「自分を客観的に知るキッカケにする」と捉えています。
「他人がどうあれ、自分は自分」という芯がしっかりしていれば、「他人が何をどう言っていようが、自分は自分だ」と、誰に攻撃的になるでもなく、まっすぐ立っていられる。
自分とは何なのかを恐れずに探っていきたい
他人との比較に意味はない。
自分とはどういう人間で、どう生きていきたいのか。
「自称○○」という否定の言葉に惑わされることなく、どうか自分の人生を自分なりに見つめることを諦めないでほしい。
違ったら違ったで、またひとつ、理解が深まるはずだから。
みんな、卑屈になるな。負けるな。
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月30日
そんなんじゃないって言ってやる。負けんなー!
— 望月志乃🌞ADHDだヨ!全員遅刻 (@shinoegg) 2018年5月30日
現場からは、以上です。
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