旧・望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

成人発達障害者に「努力しろ」は、禁句なのか?考えてみた

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どうも。志乃です。

「成人発達障害者がトラウマを抱えているワード」TOP5には入りそうな「努力が足りない!甘えるな!」。

持って産まれた脳の仕様がまず違うのに、「当然(だと思う)のこと」が「どうして出来ないのか?」と、あんまり理解されないんですよね。

カミングアウト前は「努力が足りない!ちゃんとやれ!」だったものが、カミングアウト後は「免罪符になんてならないぞ!」に変化する。

今日は、この話題について私なりに考えてみます。

「努力なんてしなくていいんだ」と開き直れたら苦労はしない

こういう話をするとき、「じゃあ、最初から全てを特性のせいにして、何も努力なんてしなくていいと思っているのか」という話になりがちです。

もし本当にそうなら、きっと誰も悩まないでしょう。

発達障害者は、真面目さゆえに、自分のせいだ、自己責任だと思い詰め、自他から責められ続けて、うつ病などの二次障害に悩まされることが本当に多いのです。

ひと昔前の「根性論」や、「精神論」がだいぶ過去のものになりつつあるとは言え、まだまだ根強い思想ですし、ネットを見ていると「自己責任論」を唱える人が多い印象も受けます。

「甘やかす」とはどういうことなのか、どうしたら甘えなのか、一人一人違うでしょうし、何を目的とした努力なのかにもよると思います。

「できない」のは「努力不足」だけのせい?

問題は、「できない(結果)」のは「努力不足だからだ(原因)」と、安直に紐づけてしまうことが、まず挙げられると思います。

 

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薬で抑えられることもあるけれど、効果には個人差がありますし、症状を抑えるだけで根治はせず、一生飲み続けることになるため、私のようにあえて服用せずに特性を生かし、環境を整える方向で考える当事者も多くいます(過去に当事者アンケートを取ったところ、服用するかどうかは半々でした)。

できないのは「特性」だけのせい?

少しでも生きやすくするために、できることはたくさんある。

というか、ひとりの親として「何とかしないといけない」。

発達障害者だって、成長する。

発達障害者だって、できないことができるようになる。

 

こう断定されることが怖いのは、あまりにそうやって「成長を求められてきたトラウマの歴史」があるから。

 

可能性すらも否定したり、「自分は発達障害者だ」ということが、劣等感と共にアイデンティティになってしまうこともある。

 

強く成長を求め、プレッシャーを与えるのも確かに問題ですが、「発達障害があるから、できないんだ」と決めつけてしまうのも、注意が必要なんじゃないかなと思うのです。

努力するって、そんなに「嫌」で「ネガティブな」こと?

無理はいかん。タイミングもある。環境もある。

みんながみんな、同じ状況下で、同じようにできるわけじゃない。それをきっと、忘れてはいけない。

自分を好きになる努力をしよう・させよう

自己肯定感があると、行動の軸が「自分」になり、他人の言葉に惑わされなくなります。自己肯定感を育むために必要なのが、自信を持つこと。そしてそのために、「小さな成功体験」を積み重ねること。

小さな成功体験を積み重ねるためには、小さなチャレンジを積み重ねること。

たくさん失敗もするだろうけど、なるべくハードルを低くして、すこしずつ、できることを増やして、すこしずつ、自信をつけていけばいい。

そのための努力なら、すればするほどみんな幸せになるんじゃないでしょうか。

 

ただ、努力を促すなら相当な注意が必要だし、強要なんて逆効果だし、タイミングが大事だし、独りよがりではいけないんだと思います。

そんな、言葉にしたら当たり前のことが、全然当たり前じゃない社会で生きているけども、私たちが子どもだった時代より、はるかに理解と支援が進んでいることを、娘を育てながら実感します。

 

まだまだ完璧じゃないけれど、確実に良い方に向かっていると、わたしは当事者の一人として考えています。

 

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できなかったことが出来るようになるのは楽しい

 

現場からは、以上です。

 

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