旧・望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

発達障害者として苦労アピールをしたくない

どうも、志乃です。

取り急ぎ、ツイートのまとめです。

 

タイトルで誤解のないよう、最初に書いておくと「苦労アピール、カッコ悪い」という話ではないので、悪しからず。

 

 

同じ障害を抱えて、今まさに強い苦しみの中にある人は、周りに「いかに自分が大変な状況に置かれているか」理解してもらう必要があると思う。

それ自体を否定したいわけではなくて、むしろ大切なことだと思っている。そうすることで、支援の手が差し伸べられることもあるだろうし、理解が深まることにもつながる。

 

一方で、私のように「当たり前のこと」として、「苦労もあるけど、何とか生きて来れたし、これからもきっと何とかなる」と、楽観しながら生きていこうとする人間もいる。

 

懸念しているのは、そういう生き方をする上で「いかに大変かを周りにまず知ってもらいたい人たち」の妨害になってしまう可能性である。

 

「へえ、困ってないんだ、楽しく生きているんだ。じゃあ、別にいいじゃん?だから何?どうして欲しいの?」という感想をもらったこともある。

 

「不幸」でないと、興味を持ってもらえないのだろうか。

「苦しみ」からでしか、理解を得られないのだろうか。

 

発達障害に限らず、育児に関連する記事を書いた時、「代弁」したことに対する感謝の御言葉をいただくことが多かった。

日本全体で、育児環境が似たような状況にあり、母親が同じような気持ちを抱えやすい育児と比べ、発達障害の共感を得ることは、本当に難しい。

 

抱えている問題もそれぞれ違うし、状況やステージの違いもある。わたしは、わたしの体験したことや感じたことを書くことは出来るが、すべての同じ悩みを持つ人の代表者になれるわけでも、代弁できるわけでもない。

 

育児や、大人の発達障害問題に限らず、現代社会で共通しているのは「みんな苦労しながら、頑張って生きている」ということ。それが大前提になっていて、たまに、とても息苦しく感じることがある。

 

本当は苦労アピール合戦なんぞしなくても、お互いがお互いの状況を慮り、「目には見えない背景がある」と理解しあえば、それで済む話なんじゃなかろうか。

 

私は未熟な人間だけども、それは発達障害者だからではなく、「人間だから」だという、シンプルな生き方がしたい。

 

現場からは、以上です。

 

陣痛なう

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