旧・望月志乃の ひびわれたまご

大人の発達障害(ADHD)当事者のイラストレーター望月志乃が、生きづらさや”楽”について考えるブログ。

今年の抱負は「好感度をドブに捨てる」ことです

f:id:shinoegg:20170101114909j:plain

新年あけましておめでとうございます。志乃です。

昨年は大変お世話になりました。

色んなところからお声をかけていただいたり、年末にこちらのブログが100万アクセスを突破するなど、縁に恵まれ感謝の気持ちでいっぱいの1年でございました。 

年明けてみて、今思うことなど、つらつらと思うままに書いてみたいと思います。

もしお暇でしたら、少しお付き合いください。

 

ありのまま生きるという意味を1年考えた

アドラー心理学「嫌われる勇気」がベストセラーになりましたね。私も買って、読みました。

 アドラー心理学は、わたしにとってフロイトやユングよりも分かりやすく、すっと納得のいく内容でした。なんだか、すんなり腑に落ちるんですよね。そのうえで、「人間そんなもんだよね、人間そういうとこあるよね、でもそれが人間なんだよね」、という、諦めに似てるんだけども、どこか明るい気持ちになる。

心理学だったり、宗教だったり、自己啓発系だったり、人間の精神に関するものをどんどん掘り下げてみると、実は同じことを言っていたりして、大元は一つなのかもな、と思うことが多く、面白さを感じます。

 

こういうスピリチュアル系の話が苦手な方がいるのも知っているので、普段はなるべく控えめにしていますが、こういうことを考えるのが、どうも好きなんですよね。

で、深く探るための材料といえば、自分しかいないわけで、結果的になんだか自分のことばかり考えています。


f:id:shinoegg:20170101102537j:image

生年月日から算出した、私を象徴するソウルカード・パーソナリティカードは共に「隠者」。自己の探求、内省。おもろ。 

誰に何を言われても弁解の必要はない

先日、人から言われて厶ッとした言葉がありました。

 

「性格悪そう。典型的なボスママ。気に入らないママを絶対いじめてる」。

だいたいこんな感じだったと思います。(特定を避けるためフェイク有り)

 

こんな常時ひとりで浮遊してる"オートレビテト"ママを捕まえて一体何を言ってるんだと。

ボスというか、まず群れるところからのスタートだぞと。

渡り鳥の群れかと。

 

想像で勝手なことをアレこれと言われるのにも、だいぶ慣れてきてしまっていて、大抵のことにはそこまで腹も立たなくなったんだけども。

それでも厶ッとしたってことは、何かそこに、認めたくなかったり、「そうは思われたくない!」と感じる、自分のこだわりがあるってことで。

 

「ボスママ(いじめっこ)タイプ」と書かれた件にしたって、私が書いたものを読んで、そう思う人もいれば、そう思わない人もいるってだけの話。

私のことをよく知らない人が、その書き込みだけを読んで、私に先入観と偏見を持ったとしても、いつか誤解を解けるような態度を貫いていけばいい

そして、私をよく知る人ほど「志乃さんがwwwボスママとかwwwww」ってなってゲラゲラ笑われて終わり。

何を言われたって本当は弁解の必要なんてないんですよね。

 

悪口の影響力を恐れるな 

「事実とは違うのだし、そう感じる方がもしいても少数派だ」という確信が自分にあれば、脅威に感じることもないはず。

悪口はだいたい自分自身のことを言っているっていうのも知っている(投影)。

 

それでも放っておけないのは、その言葉に、影響力があると思うから。

自分で認めてあげちゃってるんですよね。

こういうことを考えるのだって、もう何度目かわからなくて、慣れたとはいっても、まだまだ、「他人からどう思われるか」にこだわっている証拠。

 

「なぜ、引っかかったのか?」自分を知るヒント

そこから紐といて考えていくと、わたしはもしかしたら、「イイ人でいたい(思われたい)願望」が強すぎるのかもしれないと思いました。

正しさや公平性にこだわったり、黙ってりゃいいのに正義感で偉そうにものを言ったりして、ウザい時があるよなあ、とか。

 

「何でも真正面からまっすぐぶつかっていく」とか、

「茨の道に自分から全力で突っ込む」とか、

人から言われることもある。

そう言えばなんとなくカッコ良さげだけども(あれ?そうでもないな…?)、不器用なただのバカだよなあ、とか。

 

blog.shinoegg.com

 

否定するものでもなく、それがわたしなんですけどね。

 

一方で悪ノリも大好きで、意表をつくような、いたずらを考えてる時が1番楽しいんだよな、とか。毒々しかったり、腹黒かったり、皮肉が得意だったりで、性格がいいとは口が避けても言えない。それでだいぶ子どもっぽいんだから、ただの悪ガキかもしれない。

 

優等生タイプで陰なわたしと、目立ちたがり屋で陽なわたし。

天使と悪魔がぐ〜らぐら。

どうバランスをとっていくべきなのか、ネットで何かを発信するようになった時から、かれこれ10年は考えている気がします。

そしてその度に、「それがあなたよ。そのままでいいじゃない」、というあたたかい言葉をいただくんですよ。

…そんな有り難い一言をいただくのに、そして、それが答えなんだろうに、ずっと考えてしまうのは何故なんでしょうね。

 誰もが陰陽をもっていて、これは別にわたしに限った話でもないのだと思います。

 

理想を捨てられない

こうありたい、こうあるべきだ、こう思われたい…

そういう願望が邪魔をしていて。

つまり、わたしは自分自身が自然体でいることを許すことができない。

 

かといって、真面目なだけの自分はイヤだし、ちゃらんぽらんなだけの自分も問題だしで、結局のとこ、なんだかんだでバランスが取れている今の状態が最善なんだろうに。

言い換えれば向上心があるということでもある。

 

「好かれたい」「認められたい」「愛されたい」という承認欲求から、どうも離れられない。

それも含めて、わたしなんだけどもさ。 


f:id:shinoegg:20170101110041j:image

天秤座を表すタロットは「正義」。公平性や正しさの追求、バランスを象徴するカード。おもろ。 

 

現場からは以上です。